子育てをするにあたり一戸建てを購入

 

子育てをするにあたり一戸建てを購入

会社勤めをはじめて5年くらい経った時に、ふと家を購入することを考え始めました。
これまでそんなことも考えたこともありませんでしたが、毎月家賃を15万円支払う事に無駄というか勿体無さを感じ始めたのがきっかけかもしれません。

 

両親に相談したところ、やはりマンションなり、一戸建てを購入しローンを組んだ方が毎月の家賃の負担額が減り、加えて自分の財産にもなるのでそうできるならそうした方が良い選択だろうと言われました。
丁度、その時期に結婚したのですが、結婚したことで以前よりも家を購入することに現実味を帯びて来ました。

 

夫とは、マンションを購入するか、それとも一戸建てを購入するかでよく話合いを持ちました。

 

マンションの利点は管理が行き届くことで、ゴミ出しにしてもマンション周辺の掃除にしても管理費がかかるものの、自分たちが行わなくても良いというのは仕事を持っている私達にとっては好都合です。しかし、子供が生まれることや、子供の泣き声や足音がマンションの住民に迷惑になったりするのではないかという不安、それから、ペットを飼いたいという希望もあるのでペットのトラブルも起るかもしれないという問題もあって、一戸建てを購入した方が気ままに生活できるのではないかと思って一戸建てを考えました。

 

それから、子育てする上では田舎で伸び伸びとという想いがあったので、地方で庭付きの一戸建てを検討しました。幸運なことに30万円で土地が売られていたので、その土地を即購入し、そこに130平米の一戸建てを立てました。私達が思い描いていた通りの庭付き一戸建てでとても満足しています。冬には薪ストーブをつけて暖を取るのですが、こういうこともマンションだとなかなかできないことなので、一戸建てを購入して良かったと思います。

子供の頃に引越しを何度も経験しました

私の家は所謂転勤族で、私が幼稚園の年の頃からずっと引越しを繰り返してきました。
元々知らない人と喋る事が苦痛ではない性格だったので、引っ越し先では沢山の子と仲良くなりました。

 

でも中学生、高校生と年齢を重ねる内に折角仲良くなったのにまたイチから信頼関係を築かなければいけない事、転校初日のクラスに馴染めるか不安な緊張が嫌で、次第に人づきあいをしなくなりました。
私の引っ越す先は都会も多かったのですが辺鄙な場所も多く、そういう所は小さい頃から皆知り合いといった雰囲気で、益々入りにくかったのです。

 

特に、クラスメイトはそれこそ赤ちゃんの頃からお互いを知っているという人ばかりだったので、A子ちゃんは昔こうだったよね、B子ちゃんはああだったよね懐かしいねという思い出話しに加われず寂しい気持ちで愛想笑いしか出来ませんでした。

 

中学生の頃に初めての彼氏ができました。
でも付き合ってすぐに引っ越す事になって、遠距離恋愛していましたが続かずに破局してしまいました。
その時に「大人になったら、子供が出来たらこんな思いをさせないように絶対に気に入った土地に家を建ててそこにずっと住もう」と思ったんです。

 

大学は1人暮らしをして通い、卒業後は大きい会社に就職しました。そこで沢山働いて頑張って稼ぎました。
そして結婚して、夫に訳を話し自分の家が欲しいと言って、2人で頑張って貯金してある場所に一軒家を建てたのです。
お金は沢山かかりましたが、それでも安心感は得られました。

 

これでもう別の土地へ引っ越す事もない、ここでずっと暮らせるんだという気持ちになれたんです。
幸いな事に夫は転勤とは無縁の職場で働いているので、子供が産まれてもずっと自分の家で暮らせます。
ずっとマンション暮らしだったので、自分だけの一軒家というのは何だか不思議な感じがしますが、とても嬉しいです。

亡き父に新築家屋を見せられました。

私の父親はこれ以上ないという言う貧乏な家の次男に生まれ小学校を卒業しただけで12歳で酒屋に奉公に出ました。

 

当時の奉公と言うのは10年間の契約で10年分の給料を親が先にもらってしまうという制度で、当時は合法でした。休日は年に2日だけ元旦と旧盆の16日でした。
住み込みで24時間勤務今の若い人は嘘だと多分言うと思いますが事実です。

 

もちろん実家から1銭のお金ももらっておりません。そんな父でしたから苦労の連続の人生を歩みました。軍隊も3回行きましたが軍隊も学歴社会でした。
高学歴の人は2等兵からの出発ではありません。父は最後まで2等兵でした。軍隊の話は死ぬまでしませんでした。

 

酒屋の奉公が終わった後契約切れで世の中に放り出されました。知り合いを訪ねて日雇い仕事を続けました。

 

結局私が16歳の時掘立小屋のような家を建てました。土地はまともな土地が買えませんでしたので戦前に亡くなった人の抵当権が抹消されていない30坪の土地を買いました。
そんな土地は将来売れないとわかっていて安いがために購入したのです。家は人に揶揄されるようなトタン張りの19坪の小屋のようなものでした。
でも父にしてみればそれが精いっぱいでした。

 

私はそれ以来私が働いて父に人にいろいろ言われない家を建ててやると誓いました。しかし現実は厳しく私の生活にも余裕がなかなか訪れません。
こんなことではいつまでたっても家は出来ない。父はあの世に行ってしまうと考え何とか信用金庫から借り入れをして土地を買い、住宅金融公庫からも借り入れをして一戸建てを建てました。

 

私が45歳の時でした。父は喜んでくれました。当時父はまだ日雇で働いていました。40坪の土地に25坪の家です。でも屋根は瓦で外壁はしっくいでした。
誇れるような家ではありませんが私たち家族にとってはお城です。父はその5年後すい臓がんでこの世を去りました。

 

父が生きているうちに住んでもらってよかった。間に合った。私は今でもそれが唯一の親孝行ですが私の誇りでもあります。